● 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』の最終章の上映が始まってたので、最後は劇場で見届けようと出かけてきました。
● うーん、個人的に「うーん」なラストだった。特に、制作者サイドがこだわったであろうラスト30分が最も「つまらない」のはいかがなものか?ロジック的にとか、テーマ的にと言う意味ではなくて(そこにも疑問はあるんだけど、福井晴敏ならではの誠実さなんだろうけど)、ビジュアルとして、アニメとして、自分には全く面白いと思えない。だって、延々と「言い訳」をセリフ(しかもキャラクターの演説込み)で綴っているだけに思えたから。これ、小説を含め福井作品の多くに見られるパターンだけど、ことアニメ脚本ってことに関していえば「そこのところを物語らなくてどうするの?」っていつも感じるあれ。宇宙戦艦ヤマトってSFアクションアニメなんじゃないの?って。
● 正直言えば、そこまでのドラマ的な盛り上がりは特に悪くなかったし、これまでシリーズを観てきたファンなら「おっ」ってもうところもあるから「個人的には、絶賛とまではいかないまでも全然アリ」だと思うんですよ。空母型アンドロメダは大発明だと思うし、アンドロメダの山南カラーはカッコいいし、ガトランティス艦船のアレンジもかなり好きだし。中盤(4〜5章あたり)の退屈な感じに目をつぶって、プラモがたくさん出るならそれでよし!と腹をくくってはいたんですが、複雑な気持ちです。言葉でつじつまを合わせるくらいなら「ヤマト」って結局それだよね、って今時のアニメファンに呆れられても、ラスト30分、バッサリ切った「あの」ラストの方が好みでしたね。
● なんだかツイッターなんかでは「さらば宇宙戦艦ヤマト」否定派(特攻賛美だから、って理由で)の数が多数で、ってことが前提になって今回の作品の評価をしているケースが多く見かけられるけど、それもなんか不思議なもんだなあと思うんですよね。少なくとも公開当時は「多数があのラストを良し」として大ヒットにつながったものとオレは受け止めていますよ。客観的にはそちらの方が歴史的事実なんじゃないですか。「昔のアニメファンは特攻賛美の未開人」だと笑う人たちもいるだろうから、これだけは書いておきますよ。愚かで、ロクでもないとは思いながらも、でも、「命を投げ出す自己犠牲」は人の胸を打つのです。良し悪しは別。少なくとも現代の人間のメンタリティは、そう言う風に形作られてきているんですよ。「さらば」に限らず、フィクションの世界に、そして現実に、どれだけ自己犠牲のヒロイズムが蔓延していると思いますか?「特攻」とは、そういうメンタリティを刺激する「物語」の類型であり、うまく描けば人の心を鷲掴みにする魅力あるモチーフなんです。だから、危険な考え方だと言ってもいい。そう言う意味で「さらば」での「特攻」はキチンと機能して、当時の若者たちの胸を打ち、アニメブームの一翼を担ったのですよ。「リベラル」な考え方として否定するのは構わないけど、「さらば」がファンに受け入れられなかった、とするのは歴史修正でしょう。「特攻(それを安っぽいと言う人もいるし、不謹慎だと言う人もいる)」の物語に感動し、涙してしまう人は、別に愚かでもなんでもないです。「ロクでもないのにぐっときてしまう」と言うのが人の心の不思議でもあり、「物語」の強さの一つだと言うことを忘れると、「観念の世界に生きる」ことになっちゃうよ。破壊、暴力、エロ、グロ。ロクでもないけど、今だにみんなエンターテインメントに欠かせない要素なんじゃないですかね。
● ま、そのあたり踏まえても「さらば宇宙戦艦ヤマト」は映画としてだいぶ乱暴なストーリーの作品でしたけど、映画って何も「整合性のため」に作られているわけでもなし、基本は「見世物」ですからね。お客をしらけさせない程度のお膳立てがあればそれでいいと考えれば、やっぱりあの時代なりの名作だったわけですよ。あれをもう一回やって許されるとは思えないところが難しいところで、だからこそ「さらば」のリメイクは落とし所が難しいよなと思っていたんです。難しいんですよ。その乗り越え方で、今回は失敗したんじゃないかと思いました。新しいことやる、これまでになかった結末にする。その事は決して悪くないんですけどもねえ。
● モヤモヤしているので、これからヤマト2202のプラモでも作って自分なりに気持ちを整理しよう!メカコレのアンドロメダか。アポロノームを赤く塗ってノイ・バルグレイか。そんくらいにはヤマト好きなんですよ!!
● あと、今日は映画に出かける前に音声編集を一本終わらせたから「良い1日」だったことにします!