● 放射能ヤバいと思ったのかどうかはわからないけど、不安でいっぱいの東京を脱出して伊豆方面に避難した、評論家の東浩紀がニューヨークタイムズに寄稿したとの話を、本人のツイートで知りました。何を書いたのかと言えばコレ。英語なんでよくわかんないや、と思ったら翻訳しているはてなのエントリーを見つけました。読んでみて「えーーー?」って感じ。真意がわからないんだけど、少なくとも東さんの感じている空気は、オレにはさっぱりわからない。少なくとも「日本の国民に多少のナショナリズムは生まれたかもしれないけど、政府に対しては大きな失望と、やっぱりダメだ」という結論をくだしてるんじゃないでしょうか?枝野官房長官に関しては、ネットなんかでは多少バイアスがかかってヒーロー視されてるムードもあるけど、オレにしてみれば「まるっきり言語の通じない民主党にも、会話が成り立ちそうな人もいたんだ」というくらいの印象なんです。「他にマトモなやつがいないせいか孤軍奮闘で大変だな」というような同情心は、ある。
● だから、いくらネット上で東さんが書いたような、「全力で取り組めばできるよ」「国全体がおしまいになるほどの状況じゃない」という言説があったとしても、それをマトモに受けとれないオレもいるわけです。そして、知人や、ネットのつぶやきや、ニュースに出てくる市井の人たちの発言からも、ある種の失望感を感じるんですよ。ただ、それでも言霊。「失望」と言っちゃったらアウト。日本人は、そういうものを信じているからこそ、自らを言葉で律しようとする。いわば、ヤケクソ、強がり。その上での「おしまいになる状況じゃない」という悲壮な決意。でも、オレは、むしろ、その逆説的な思考回路こそ、オレは日本の美徳だと思うし、信じてみたい、と思うんですけどもね。村上龍が小説で「この国にはなんでもあるけど、希望だけがない(意訳)」みたいな事書いてたのを覚えてるんですが、今はちょっと印象が違う。「物資も、電気も、安全もないけど、希望だけある」というような、感じですかね。
● それとは、まったく別の話として、東さんのテキストはあまりに楽観的(いや、雲の上の話のよう)に思えて仕方なかった。テキストでは楽観的でいながら、東京から避難しちゃうとは(笑)とも思いましたよ。怖くなったから逃げた、と言われた方が、よっぽど理解出来ます(オレだっていろんな事情がなければそうしていたかもしれないほど、怖い)。しかし、政府にがっかりしようが、原発事故以降の行方(電力供給の深刻な問題)に悲観的になろうが、東京脱出したとこでなんにもなんないじゃんね。確実に変わった次世代の日本で、何をどうやって生きていくかを模索するならばさ。