● Facebookでのやり取りで思い出した話。

● 朝、スタッフ控え室に入っていくと刷りたての台本が山に積まれていた。1991年。まだ、テレビ番組といえば、どんな小さな番組でも印刷所で台本が刷られていた時代だ。表紙には大げさな書体で『メガロックショー』と書かれている。紛れも無い。私が企画書を書き、提出したタイトルだ。パラパラとめくってみる。ト書きも、進行のセリフも、自分が書いたものに相違ない。テレ原と呼ばれる、特殊なフォーマットの原稿用紙に、マジックペンで手書きした自分の台本が、活字になって目の前にある。これまでいくつもの企画書を書き、ボツになったり、採用になったり、浮き沈みはあったものの、その上で台本まで書かせてもらったのは初めての体験だったし、それがこうして印刷台本になっていることはやはり気分が高揚するものだ。デビュー間もない新人ロックアーティストと、ベテランアーティストが登場し、自分たちのステージを見せた後、ラストには一つの曲をセッションする。それがこの番組の企画骨子だった。「容易に考えつく企画」であることは当時の私でも重々わかっていたことだが、実際、それを現実で行うことは困難を極めた。まず、2組のアーティストが一緒に楽曲を演奏するリハーサルの時間を作ることが困難であり、そのためのスケジュール調整をする役目をテレビ局のプロデューサー達が引き受けるとは思えなかった。さらに、バンドブームも過渡期を過ぎたあの時代、デビューしたてロックバンドというのは多くの場合「レコード会社に作られた面白みのないバンド」か、「どこの馬の骨ともわからないキワモノ」の二択と考えられていたため、現場スタッフも乗り気にならない。それが、こうして第一回放送分の本番の日を迎えたことが、当時の私にとって「夢のような出来事」だったのだ。

 こんな企画が通ったのには二つ理由があった。まず、テレビ局の管理職であるエグゼクティブプロデューサーが自分のことを可愛がってくれて、ロック好きで、仕事にあぶれていた現場プロデューサーをアテンドしてくれたこと。この現場プロデューサーは正社員には珍しく肩まである長髪で常にジーンズにスニーカー履き。父親は国会議員というコネ入社だったため、社内でも持て余されて、ちょうど仕事を干されていた時期だったので担当番組であればなんでも食いついてくれたためだ。さらに、彼はスケジュール調整すら部下にやらせる「ぐうたら」だったので、企画そのものに対する抵抗感がなかったのだと思う。もう一つの理由は、ちょうど同時期、彼と仲良しのキーパーソンが企画に好意的だったおかげだ。自分が注目する若手アーティストをテレビで紹介したいと考えていた人気ロック雑誌、ロッキンオンジャパンの編集長、渋谷陽一だ。当時の彼は、布袋寅泰、吉川晃司のユニット、コンプレックスを評価しつつも、「結局は『恋を止めないで』みたいな歌謡曲しか出てこないのは残念だよ」と本人たちに話してしまうというトゲのあるインタビューで、ちょっとしたメディアのトリックスターだったのだ。彼が、「その企画ならオレも加わる」と言ってくれたことが、番組成立を後押ししてくれたというわけだ。よって、台本のスタッフ表のページで私の名前は「構成」欄の三番目にあった。「構成」スタッフの一番目は、渋谷陽一その人。二番目には、企画成立後に参加した当時、イケイケだった放送作家、榎木氏の名前。榎木氏は温厚で私にも優しい人物だったけど、台本に一切筆は加えていない。要するに新人作家である私のお目付役というところなのだ。「ここは、悔しいけれど我慢しよう」そう納得するしかなかった。何しろ、初めての台本。初めてのロック番組。そして、自分のプッシュでキャスティングされた出演者がいる!

 第一回目となる今日の収録の出演者には、当時私が夢中になっていたテクノユニットで、デビューアルバムのリリースをひと月後に控えた「電気グルーヴ」の名前。そして、局側が「そんな名も知らぬバンドでは保険がきかない」と無理やりブッキングしてきた「チェッカーズ」の名前が並んでいた。企画者の自分から見ても「この2組がセッションするなんて信じられない!成立するはずがない!」と感じたものの、どうやら事前の打ち合わせでは「なんとかなる」という結論で今日の本番美に至ったとのことだった。事情はどうあれ、電気グルーヴをテレビで真っ先に取り上げられたことが誇らしいという気持ちがあり、自分は大いに満足していたのだ。

● と、思いつきで小説を書くように綴ってしまったけど、そんな思い出がよみがえって来て、いろいろ考えちゃいましたね。他に誰も知らないし、語らないし、そもそもそんなに興味ある人も少ない、駆け出し放送作家の思い出話。ただ、この番組は、当時「芸能界」から遠ざかっていた、あの爆笑問題の本格的レギュラー番組への復帰第1作という意味では貴重だと思っているんです。自分も、あれが一つの放送作家として、その後の転機にはなったけど、爆笑問題みたいに「不動のスター」になることができなかったわけで、これは今思い出すと悔しいやら、情けないやら、だな。

● 今日は、文字起こしの作業の合間に新宿まで出かけたんですが、アドホックの真ん前にあったアニメショップ「アニメイト」の跡地が「ファミリーマート」になってしまうことを確認しました。

● ああ、前は……プラモやおもちゃの激安値引きで入り浸っていた「さくらや・ホビー館」があった場所でもあるんだよな……。コンビニは便利だけど、ファミマは、歩いて5分の場所にあるんですよ。先日は新宿駅ビルにあった画材専門店「Too」が無くなったらしいし、新宿はどんどん「カルチャー」から離れていくような気がしてさみしいよ……。さくホビがあった頃は、ちょっと歩けば「イエローサブマリン」も「ボークス」もあって、ちょっとした「おもちゃ天国」だったんだけどな……。

● その後、サブナードのおしゃれ北欧カフェ「オスロ」で、北欧風プリンを食べて休憩。正直そこまで期待してなかったけど、このカラメル、めちゃくちゃ美味いじゃないか!!

● 普段はこの界隈で休憩するならリーズナブルなカフェベローチェか、ドトールに行くところだけど、こんなにプリンが美味いならまた来よう。

● 今週は、インタビュー取材が始まるので、年末にやった取材の文字起こしを早めに片付けておかないと大変になっちゃうのだ。そして、録音を聴きながら「ああ、何でオレはここでもっと盛り上げて話を引き出さなかったんだろう?」と後悔しつつ、今夜も淡々とインタビューをまとめる苦しい作業に従事するのでした。

● あ、Amazonで小学館「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>」の電子書籍版が実質半値(ポイントが帰ってくる)になってるらしいですよ!なぜか「藤子・F・不二雄大全集」は電子化されていないので、電子書籍で読めるというのは、今の所なかなか貴重なんです(オレは大全集で持ってるからなあ)。持ってない!電子書籍でも読みたい!という人はこの機会にどうですかね?