● 今日は、パワーポイント初心者向けのミニスクールを行ってきました(笑)いいこと思いついても、カタチにする時には企画書にしなくちゃならない。その時、しょぼい企画書だと、やっぱり損しちゃうんですね。お化粧と同じ。何かを動かそうとしたら、見栄えより「中身が肝心」なんて甘えてたらまずいわけですよ。自分もプロフェッショナルとは言い難いけど、時間ないでできる限りの事は教えられたと思います。ド初心者向けのパワーポイントの化粧方法、これ仕事にならないですかね(’∀`)

● 女の子、無事保護されて良かったねと思ったけど、またも報道で「犯人の部屋にはアニメのポスターがびっしり」とかいうコメントが出て来て、それはまあ、客観的事実だからなあと思ってたら、案の定、ネット界隈では「アニメファンは犯罪者予備軍」(本気で言ってるのかどうかすら謎な主張だけど)だの、「アニメファンを犯罪者予備軍扱いするな」(まっとうな主張だとは思うけど)だの吹き上がってて、一日中Twitterを賑わせていたみたいです。個人的には本当にアニメ?エロゲじゃなくて?など、ちょっと問いただしたくなる(笑)ネットでよく観る「壮絶なオタ部屋」の写真とかって、わりと「エロゲ特典」系のポスターが多いように思えたから・・・。どっちでもいいよ!そもそも区別つかねえよ!って感覚もわかるけど、オレはわりとそこ重要!とか思っちゃう質なので。「魂は細部に宿る」とだけ報道の人たちには伝えたい。

● まあ、常軌逸脱する程のポスター量ってことになると、なんらかのオタクなんでしょうね。アニメに限らず、ジャニオタもアイドルオタも、一般の感覚では考えられないほどのめりこむのが「拒絶される原因」になっちゃうので。犯罪と直結しないんだけど「おかしな人」である事は自覚しないとなあ、とは思います。これは、犯罪者予備軍とかそういう問題じゃなく、一般常識としては「そういう目線が確実にある」という話ですからね。我が家も、尋常ではない量の本とプラモの山、自分が思っている以上に「世間的には異常者」である事は自覚してますよ。

● 異常といえば(笑)、ネット上で今日になってなぜか紹介されて拡散してた、「かぐや姫の物語」の制作裏話。要するに高畑勲さんの話(わりと面白いので読んでみたらいいと思う)ですね。主にオレが観測できたのは、「制作の体制が前時代的」「ブラック企業の現場を正さないと」「産業として送れたシステム」など、アニメの現場に対する批判コメントでした。「産業」側として「経営」側として、こういった現場や制作体制について「遅れている」「改善せねばならない」というコメントがつくのは、しごく真っ当な事ですが、そもそもアレほどのすさまじい映像を生み出すには、常軌を逸脱した狂人でなければならず、それは「産業」の枠では不可能だったのだ、という事を理解できないと「映像作品」の可能性を狭める事になるのではないかと思いました。

● 「モノづくりの現場の人間は、限界まで神経をすり減らして、ノイローゼになって、過労で死んでも良い、とでも言うのか?」・・・「モノづくり」だけを最優先事項とするなら、答えは「イエス」です。オレはそういうレベルでモノを作って来た人たちをたくさん観てきましたし、その作品に感動させてもらったからです。あと、全ての番組ではありませんが、こういった「狂ったスケジュールで、倒れ行くAD、Dたちを生み出しても、よいものにしようとがんばってるテレビの現場」もこの目で観てきました。こうした現場を安易に「ブラック企業、時代遅れの産業」としてしまう人たちは、過去の「映画の名作」の何を見て来たのか?とも思うし、「狂気を許容しないふんわりと幸福な社会」からは「ふんわりとしたモノだけが生まれて行くんだろうな」とも思います。そもそも「表現」と「経済の論理」は根本的に関係ありませんしね。

●もちろん、現場の人たちに充分な収入が確保される事が理想なので、モノを売る人たちには「効率化を叫んでいただくより、コンテンツの安売りを止めていただきたい」という感想を持ちました。