● 昼間もテキストをひたすら書く仕事をしていたけど、帰宅後も台本をひたすら書きます。で、こうして日記も書きます。正直、名文、美文を書くことが目的ではなく(文章の味わいを目的とする文書というのもあるだろうけど)、物事をとりあえず伝えるための文章は、正直、手癖で書いてしまえるものであって、これはもう技術というか、職種故に必要な技能なんですね。だから、なんとなく体裁が整って、違和感がない文章をかくのは、そう苦痛ではないんです。これは「創作」としての文章とはまるで次元が違う。
● 一度、技術のみ(夢も、希望も、思想もなく)で物語が書けるのか?と考えて書いてみたけど、これも、またかけちゃうんです。材料集めて、セオリーに沿って、時代性を考えながら微調整して、公式通りに並べればなんとかなる。少なくとも「大して面白いわけではないけど、商品としてギリギリ成立するレベル」のシナリオって言うのも書けます。(その公式、ロジックを自分なりに作ることが必要なので、最初に時間かかるんですけど)実際に商品として、成り立ったし。でも、読んだ人が「ハッ」とするようなものを書くのは、これはもう技術のみでは無理なんだよなあ。だから、「面白いもの」を書く創作者(小説家にしろ、脚本家にしろ、ライターにしろ)に対する畏敬の念というのは、未だ絶対的なものがあるのです。「コント」に関しては、完全にそれ。技術でコントは書けないから、コントを書いていた時代は本当に苦労したのです。現在も面白いコント書ける作家は、どんなに人間的にダメでも、思想がなくても尊敬しちゃう。いや、むしろ思想があるってことなんだろうな、そういう人は。
● と、ツイッター上に出てきたアメリカ探偵作家クラブ編の「ミステリーの書き方」という本のオススメを読んで思い直したんです。この本、面白かったんですよ。技術書でもあるけど、技術の裏には思想が透けて見えるというところがまたいいんです。入門書好きなので、こういう「小説入門」みたいな本は大好物なのです(自分じゃ書く気もないけど)後、「シド・フィールドの脚本術」(’∀`)ど定番だし、押しつけがましいけど明快なのでこの本が支持される理由もよくわかる!
● しかし、仕事は苦痛ではないにせよ、映画に行く時間が作れないのは、ちょっと苦痛ですね。
● 今日、松屋の前を通りがかったら、「ケイジャンチキン定食」ってのが始まってたので食べました。ケイジャンチキンってこういうのじゃないのでは?という疑問はさておき、まあお値段の割には鶏肉のボリュームあってまあまあかな・・・。鶏肉のボリュームあってまあまあ・・・あれ??これ、食材は明らかに、チキンごろごろカレーのアレンジです。
● カレー続ければよかったのに・・・。ケイジャンチキンって、頼む人減りそうだもん、何のことやらわからないメニューなので。

